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イラン現代史日誌 (無断転載を禁ず)
<1921年〜1989年〉
1926    レザー・シャー即位しパフラヴィ朝成立
1928    成年男子に洋装を義務づけ。
    05.10 治外法権(カピチュレーション)撤廃。
1929 08  遊牧民カシュガーイ族の反乱を鎮圧。
1933 04.29 英国と石油利権の新協定締結。
1934 05.13 税関運営権をベルギー人の手から取り戻す。   
       テヘラン大学創設。
1935    国号をイランと改める宣言
1937    イラン・トルコ・アフガーニスターンの間でサッアダーバード相互不可侵条約成立。
       イラン共産党非合法化。
1938    イラン縦貫鉄道完成。
1939    イラン皇太子モハンマド・レザー、エジプト王の妹を娶る。
    09.01 第二次世界大戦勃発。
1941    イラン中立宣言。
    08.25 英ソ両軍イラン進駐
    09.16 パフラヴィ朝第一代国王レザー・シャー退位。モハンマド・レザー国王即位。
1942 01.29 ソ連・英・イラン三国同盟条約調印。日本と国交断絶。
1943     米国、ミルスポー経済使節団を派遣。
        対独宣戦。
    12.01 米英ソテヘラン会談
1945     対日宣戦。
    08.15 第二次世界大戦終結。
    12.10 アーゼルバーイジャーン自冶共和国政府樹立宣言
    12.15 クルデスターン共和国樹立宣言。
1946 01  イランは国連にソ連軍残留問題を提訴。カワームッサルタネが首相に就任。
    12.12 アーゼルバーイジャーン自治共和国、12.15クルデスターン共和国制圧。
1947 10.06 イランー米国軍事協定締結。10.22 ソ連への石油利権譲渡法案、否決。
1949 02.04 国王暗殺未遂事件。 ツーデ党非合法化。
1949 10 モサデック、「国民戦線」結成
1951    AIOC(アングロイラニアン石油公社)、石油国有化の動き強まる。
    03.07 ラズマーラー首相暗殺。
l95I  04.29 モサッデグ( 1881ー1967) 首相就任
1951 05.01 石油国有化宣言。
1952   モサッデグと国王対立激化
    10.22 英国と国交断絶。
1953 05   モサッデグ、国王の権限を大きく制限。
    08.19 反モサッデグ・クーデター、国王復帰。
    12.03 英国との外交関係再開。
1954 08.05 コンソーシアムと石油生産再開協定を締結。
    09 イラン国営石油公社(NIOC)設立
1955 10.12 中央条約機構(CENTO)に加盟。
1957   国家治安機構(SAVAK)設置、C.I.A.とイスラエル情報機関がこれを支援。
1959 03.05 米国、イラン・トルコ・パキスターンと相互防衛協定締結。
    
1960 07.26 イランのイスラエル承認に対してナセル指導下のアラブ連合がイランと断交。
1960 09.14 石油輸出国機構(OPEC)設立。
1961 10   国王、全財産をパフラヴィ財団に譲渡
1961     国民抵抗戦線、イラン自由運動に改称
1962 01   農地改革法公布
1963 01   白色革命(6大改革)、国民投票で承認
1963 06   反国王デモ、1000人死亡
1963 11   ホメイニー師、トルコヘ追放
1964 07.21 地域協力機構(RCD:イラン、トルコ、パキスタン)発足
1965 01.21 マンスール首相暗殺、ホヴェイダ内閣発足
1965 10   ホメイニー師、イラクヘ追放
1965     モジャーヘディーネ・ハルグ結成
1966 01   ツーデ党員13人処刑
1967 02.29 ソ連と武器売却協定を締結。イランはソ連にガスを1970年から供給。
1967 06.05 第三次中東戦争勃発。
1967 10.26 国王戴冠式。
1968 01   英国はスエズ以東から、1971年末までに撤退と表明。
    09.24 国王、ソ連を訪問。
    11.09 国王、サウディアラビア、クウェイトを訪問。
1969 04.20 イラクとの関係、シャットルアラブ川の水利問題を巡り悪化。
    10.17 国王、米国を訪問。米国はニクソン・ドクトリンを発表。
1971 01.03 アラブ連合とイラン国交回復。
   02.14 ペルシア湾産油6カ国、国際石油会社との原油公示価格値上げ交渉妥結
1971 08.17 中国と国交樹立
    10.12 帝政2500年祭
    11.30 ホルムズ海峡の3島嶼を占領、イラクがイランと断交(12.01)、アラブ首長国連邦( U.A.E.) 成立(12.02)。
1972 04 イラクはソ連と友好条約を締結、米国は05、ニクソン、キッシンジャーのイラン訪問で一      連の協定を締結。
    07 宗教部隊設置
1973 07 コンソールシアムとの新協定
    10.06 第四次中東戦争始まる。石油戦略の発動。 
    10.  国王暗殺計画、ファラ王妃・レザー皇太子誘拐計画発覚。
      国王は石油収入の四倍増に伴い、第五次五カ年計画の見直しを指示。
1975 03 イラクとアルジェ協定締結。ラスターヒーズ党結成(単一政党化)
1976   ヘジラ太陽暦からイラン暦紀元2535年に変更

1977 06   アリ・シャリアティ死去
08.06 ホヴェイダ内閣総辞職。電力危機を契機とした経済動揺から瓦解。第5次五ヵ年計画が齟齬をきたす。
08.12 後継アームーゼガール内閣成立。
11.15 在米イラン人学生国王非難の大デモ。このワシントンのデモに呼応してテヘラン大学学生による反国王デモが発生し、全国21大学閉鎖の事態に発展。一方、カ一ター大統領は、訪米中の国王に米国・イランの協力を強調し、他方国王は、親米的石油価格抑制政策への転換を約束した。

1978.
01.09 コムの数千の神学徒がエッテラアート紙1月7日掲載のホメイニー師を誹謗した記事に抗議デモ。警官隊と衝突。
01.14 コムでラスターヒーズ党が政府支持デモ。
01.26 テヘランのタバリー高校、アーモルの高校で学生が反政府デモ。
02.18 タプリーズで1月9日のコムの事件の犠牲者40日目追悼集会後、ラスターヒーズ党本部そのほかを襲撃、大暴動。死傷者100名。この暴動は。1963年の「白色革命」反対運動時における政府系暴動以来の大規模なものとされる。この他、テヘラン、マシハド、ケルマーン、シーラーズ、エスファハーン、アフヴァーズでもコム事件の追悼デモ。
03.30 タブリーズの流血(2月18日)から40日目の追悼集会が国内各地で開かれる。特にコム、ジャフロム、ヤズド、ケルマーン、エスファハーン、マシハド、タブリーズ、テヘラン、アフヴァーズなど、コムでは死者数人。テヘランなど主要都市のバーザールがスト。
04.30 タブリーズで国王支持デモ。
05.10 コムでデモ隊が警察署を襲撃して軍隊と衝突。シャリーアトマダリー師宅の秘密警察立入りに対する抗議暴動がきっかけ。神学徒二人が殺される。
05.13 国王は政治自由化方針を表明。
  (大野盛雄氏)テヘランの日本学術振興会西アジア地域研究センターに着任。
05.18 シャリーアトマダリー師は憲法に基づく政府を説く。
06.05 ホメイニー師追放15周年。大都市パザールの抗議スト始まる。
06.06 ナシリSAVAK長官解任。
06.07 国王、政治自由化を言明。ラスタヒーズ(国民復興党)の一党体制を解体して政党の自由化と1979年6月に自由選挙実施の方針を発表。
06.18 5月10日のコム、ヤズド、ジャフロム、カーゼルーン犠牲者の40日目追悼デモが全国で行われ数都市で死傷者。
07.21 ホメイニー師は第12代イマームの生誕祝賀の中止を指示。ホジャットル・イスラーム・カーフィが祝賀中止を指示して殺害される。
07.22 ホジャットル・イスラーム・カーフィの追悼デモ。
07.23 ホジャットル・イスラーム・カーフィ追悼デモが暴徒化して警官と衝突、40人死者。
07.28 全国で各都市の犠牲者40日目追悼。
08.05 国王、政治の自由化計画を再確認。
08.06 ラマザーン月始まる。反政府デモ拡大。イスラーム政権の樹立を要求。
08.09 エスファハーンでは追放されていたアーヤトッラー・ハーデミーの帰還を契機に反政府運動が激化、ホテルを放火。
08.11 エスファハーンで5万人のデモ。ほか、シーラーズ、コム、タブリーズ、ホッラマバード、アフヴァーズ、アバダン、マシハド、 ケルマーンシャー、アラーキー、ガズヴィーン、アルダビール、ナジャファーバード、などでもデモ。政府はラマザーン月の終了までエスファハーン、ナジャファーバードなどに戒厳令を敷く。
08.14 テヘランでレストランなどが爆破。
08.18 マシハドで映画館に放火。政治犯62人釈放。年初来の釈放。累計600人。
08.19 アバダン市映画館に計画的放火。死者477人。1953年に国王がクーデターでモサッデグを倒した記念日。 
08.20 シーラーズ、レザーイーエでも映画館放火。
08.23 全国で官庁、銀行、映画館、キャバレーが襲撃される。
08.26 アームーゼガール内閣総辞職。ジャッファル・シャリーフ・エマーミーが内閣を組閣。アリー受難の日の追悼行事と重なって全国主要都市でデモ。アバダンの映画館放火事件の追悼行事がデモに変わる。
08.27 帝王暦を改め、イスラーム暦(シャムス暦)に戻る。政党の自由が認められ、地下潜行の各政党が名乗りを上げる。「国民戦線」復活宣言。
08.31 主要15都市で、計150万人の政治デモ。イスラーム政権を要求。マシハドで7月22〜24日の犠牲者の40日目追悼デモでまた死者。バンダル・アッバースなどの僻地に拘禁されていた7名の宗教指導者が釈放される。
09.01 テヘランのジャーレ広場、マシハド、コム、その他でデモ。死者数百人。タブリーズの自動車工場でスト。
09.03 中央銀行職員貢上げスト。
09.04 ラマザーン明けのエイデ・フェトル。テヘランでこれまで最大のデモ。地方都市では銃撃で死者多数。9月1日の流血事件初七日追悼のため、9月7日のゼネストを宗教指導者が呼びかけ。
09.06 政府は無許可の集会、デモ、行進を禁止。福田首相イランを訪問。
09.07 宗教界の指導で禁止にも関わらず、大規模なデモ。公務員、基幹産業労働者賃上げスト。
09.08 テヘラン他11都市に戒厳令布告。テヘランのジャーレ広場でのデモに銃撃、死者多数(黒い金曜日)。
09.10 政府、汚職撲滅運動開始。シャリーフ・エマーミー首相は、新政策の大網を発表し、汚職撲滅を宣して前閣僚、官僚。国営企業総裁、企業家の逮捕を開始。テヘラン精油所がスト開始。政府は政治犯333人の釈放を発表。米カーター大統領は国王に電話でイラン支持を確認。
09.16 シャリーフ・エマーミー内閣下院で承認。この日イラン東部タパスを中心に大地震がおこる。09.19 イラン国立銀行( Bank-e Melli Iran )スト開始。
09.21 国土縦貫ガスパイプが爆破される。
09.23 新学期始まり、学生がデモと行進に参加。
09.24 アバダン精油所スト開始。
09.25 ラスターヒーズ党解散。                 
09.26 王族権限・行為の制限法発布。
09.29 テヘラン水道局スト開始。
10.03  ケルマーンシャーの学生デモが流血事態となる。政府はスト中の職員、労働者の経済要求に善処を表明。ストは交通機関、郵便、電力、裁判所、放送、病院、製鉄、学校、官庁に拡大。
10.05 ホメイニー師イラクからクウェイトに向かうが、滞在許可を得られず仏に向かう。
10.06 国王は急速な近代化による“ひずみ”の存在を公式に認知。
10.07 全国的に教師がスト。
10.08 テヘラン等で反政府暴動再熱。デモ。スト全国的に波及。
10.09 政府、国防費、原発等大型プロジェクト予算削減措置発表。
10.10 ケイハン紙がスト開始。
10.14 大新聞のスト4日で政府は検閲廃止。15日から新聞再刊。
10.16 黒い金曜日の40日目追悼日。地方都市で多少犠牲者。
10.19 アバダン製油所労働者ストに突入。
10.22 テヘランでガソリン不足。
10.23 学生の合法的政治デモ解禁措置。
10.25 国王の誕生日を前に、タレガーニー師、モンタゼリー師など政治犯1126人を釈放。
10.29 サンジャービー・ホメイニー会談、反国王闘争で一致。
10.31 ナショナル・イラニアン石油会社( N.I.O.C.) が政治要求を掲げてスト。
11.03 カシュガーイ族が人民の戦いに参加すると表明。
11.04 テヘラン大学前で学生と軍隊衝突。
11.05 テヘランで大暴動。昨日のテヘラン大学での流血の報道に激昂して。大商店、映画館、劇場、銀行、キャバレー、酒屋が襲撃される。シャリーフ・エマミ内閣総辞職。新聞がこの日を最後に刊行停止。
11.06 アズハーリー国軍参謀総長が首相就任。軍事政権に移行。放送局は抗議してスト。
11.07 ホメイニー師・国民戦線、軍事政権打倒宣言。宗教界指導者の軍政への助言を歓迎するとの国王の声明に対して、パリのホメイニー師は一切の妥協の可能性を排除し、武装蜂起に訴えても現体制を打倒すると言明し、また国民戦線も軍事政権に対する協力を拒否した。この日と翌日ナシリ元SAVAK長官、ホヴェイダ前首相その他5閣僚が逮捕された。
11.11 NIOC、NPC労働者のスト・サボタージュ再燃。パリから帰国したサンジャービー博士は戒厳令法違反で逮捕された。
11.12 石油労働者が職場に戻らなければ解雇すると政府が警告。
11.18 王妃ファラー子供とイラクのナジャフを参拝。
11.20〜21 電信、電話、電気、ガス・水道公社従業員の山猫スト開始。
11.21 マシハドでイマーム・レザー廟におけるデモに軍が襲撃。ソ連はイランの政治介入に関しアメリカに警告。
11.26 ホメイニー師はマシハド、イマーム・レザー廟事件の服喪の日と宣言。テヘラン他各地で軍隊、群集の大規模衝突。政治犯1,120人釈放。スト中の中央銀行職員は最近の海外送金者高官リストを発表。
11.28 アズハーリー首相、「アーシューラー」の宗教行事是認の方針を発表。
11.30 70万人公務員25%昇給案を議会可決。
12.01 夜間屋上でのシュプレヒコール。在留外国人、アーシューラー接近の緊迫感の中で大量退去。軍隊デモ隊の衝突激化。
12.06 サンジャービー博士釈放。
12.1O タースアー、テヘランではサンジャービーの式で100万人の行進。
12.11「アーシューラー」全国的デモ。デモ参加者はテヘランだけで数百万人にのぼり、国王打倒とイスラーム政権樹立を叫ぷ。
12.12 石油労働者の70%が直す途中。石油生産は120万b/d。カーター大統領は国王支持を表明。
12.13 国王とサンジャービー会談。
12.17 国王はアミーニー、サディーギーに組閣を打診。
12.20 資本の違法海外移転の嫌疑で要人大量逮捕。閣僚4人。将軍3人、海軍長官1人を含む100人告発。     
12.23 アフヴァーズで米国系0SCO支配人射殺。高校授業再開がそのまま学生のデモ騒擾となる。
12.24 サンジャービー博士・国王に退位要求。12月13日の国王との会見で退位を要求したと言明。
12.25 テヘランで反米デモ。米国の国王支持に反対する。
12.26 テヘラン・マシハドで反体制暴動
12.27 イラン国立銀行( Bank-e Melli Iran )焼き打ち。イラン航空スト再開。テヘラン空港国際便ストップ。
12.28 原油生産完全停止。国営イラン放送の報道。
12.29 ホメイニー師はバーザルガーンに国内需要分の石油生産をさせるように指示。
12.31 バフティヤール氏組閣受諾。受諾条件として国王の一時国外退去。統治権の議会への大幅移譲。SAVAK解体。国民戦線はバフティヤール氏の議会中心主義方針を排撃し、同氏の追放を決議。軍のクーデター計画、未然に抑制:国王・軍指導層の自制。強硬派オヴェイーシー将軍国外退去。米ソのイランを巡る相互牽制強まる。

1979.
01.01 国王診療と休養のため国外にでると表明。アズハーリー首相辞任。
01.03 シャープール・バフティヤール首相、議会の承認を得る。
01.05 ホメイニー師が任命した3人折衝委員の働きかけで、石油労働者が職場に復帰し始める。
01.06 大新聞のストが62日ぶりに解除。イラン南部の鉄道労働者も、石油輸送のためストを中止。シャープール・バフティヤール内閣組閣。ホメイニー師は服従するなと指示。テヘラン戒厳令司令官オヴェイーシーはラヒーミーと更迭。米のハイザー将軍イランにて関係筋と協議。
01.08 ホメイニー師の指示でゼネスト。
01.09 国王、王族に財産をパフラヴィ財団に移譲するよう命令。
01.10 ホメイニー師は「大統領になりたいとは思わぬ。ただ、将来の革命政府を見守るだけ」と声明。
01.12 全国で公共用の燃料、食料を調達するためのコミテが出現。
01.13 国王離国に備えて、9人からなる王室評議会が成立。一方、ホメイニー師は革命評議会成立を発表。カシュガーイの族長ナーセル・ホスローが帰国。
01.16 国王夫妻国外退去。エジプトに向かう。ホメイニー師は「マルキストがその見解を表明することは自由。イランはイスラエルと戦う」と発言。
01.18 クルドがイラク国境に近いサルダシュトのジャーンダールメリー( 地方警備隊) の屯所を襲撃。
01.19 アルバインの日に合わせてホメイニー師の指示で全国的にデモ。「パレスチナとベトナムの人民との連携」をシュプレヒコール。決議文:パフラヴィ王朝は非合法、・イスラーム共和国を国民投票にて樹立。・ホメイニー師の革命評議会を承認。・シャープール・バフティヤール内閣は非合法。・軍と人民は兄弟。・イランはイスラームの下にあり、外国に干渉されない。・世界の国々との協力。・イスラーム共和国成立までストとデモを継続。 ・現議会は非合法。 ・王室評議会は非合法。
01.20 王室評議会のテヘラニー氏がホメイニー師との会見を申し込むが拒絶される。
01.22 テヘラニー氏パリで王室評議会を辞任し同評議会は非合法とのべる。
    ホメイニー師帰国の期待感が強まる反面、軍によるクーデターの懸念が強まる。
01.24 空軍下士官がホメイニー師支持デモ。ホメイニー師の帰国を阻止するためテヘラン空港を3日間閉鎖。
01.27 マホメットと第二代イマーム・ハサンの命日で全国で大デモ。シュプレヒコールは「もしイマーム(ホメイニー師)が来ないのならば、機関銃がくる」。バフティヤール首相は首相職は軍に対し何ら権力がないと発言。
01.28 バフティヤール首相はホメイニー師との会談を模索。ホメイニー師は辞職しない限り会談しないと応答。
01.30 ホメイニー師の帰国を認めるというホメイニー師側近と軍首脳二人の意見一致を政府が承諾。
    テヘラン赤線地区、ビール工場などが焼き討ちされる。
01.31 ホメイニー師の帰国を控え、軍はバフティヤール支持の示威行進。
02.01 ホメイニー師帰国。ベヘシュティザフラー墓地でホメイニー師はバフティヤール内閣打倒の演説
02.02 バフティヤール首相はホメイニー師支持者を含めて挙国政府を造ることを呼びかけ。ホメイニー師は議会、政府、軍の解散を要求。議員40名が辞職。ホメイニー師はイスラーム政権は少数民族を尊重し、外人の滞在自由を保証するとのべ、軍の協力を要請。
02.04 イラン軍首脳部は米国防省との話し合いで、米国製武器購入契約115億ドルの70億ドル分をキャンセル。 バフティヤールはホメイニー師が政権をコムに造るなら、小バチカンとして認めてもよいとする。
02.05 ホメイニー師はバーザルガーン氏が暫定政府の首相に任命されていると発表。シャリーアトマダリー師は独裁的決め方に不快感を表明。
02.06 全国でバーザルガーン支持のデモ。バフティヤール首相はCENTO離脱を表明。 SAVAK解体A汚職高官の裁判が議会で可決。米国は軍の一枚岩を信頼すると表明。タレガーニー師はマルキストについて、「彼らが海外から指令を受けず、国際共産主義と関係を持たないなら、行動は自由」とのべる。テヘラン大学構内はモジャーヘディーネ・ハルグ系の学生が目立つ。
02.07米国ハイザー将軍イランを去る。エスファハーン、シーラーズ、コムでは公共機関、地方裁判所がホメイニー師支持の人民管理となる。ホメイニー師歓迎委員会による食料などの必需品の供給。
02.08 バフティヤール支持デモ。彼らはイラン国民統一戦線の結成を宣言。
02.09 テヘランのドウシャンタッペ空軍基地で空軍整備兵のホメイニー師支持デモを国王直属近衛部隊が襲撃。市民が空軍側に応援。
02.10 空軍の武器庫が開かれ、多くの市民が武装。街路にバリケードを造る。ホメイニー師はジハードの布告は出されていないが、防衛の用意をせよと市民に布告。
02.11 国軍、中立宣言に基づき、兵の撤収を行う。バフティヤール首相は夕刻バーザルガーンと会見後、辞任し、行先不明。パフラヴィ王制崩壊。バーザルガーンは事前の軍最高司令官との私的な話し合いで、軍が革命政府に協力する旨の合意ができていたことを明らかにする。
02.12 ホメイニー師、革命勝利宣言。バーザルガーン暫定政府首相、組閣開始。エブラーヒーム・ヤズデイ革命問題担当のほか、権力移管問題、広報の三副首相任命。リビア。シリア、PLO、パキスタン、スーダン。ソ運が新政府承認、
02.13 西側諸国の新政府承認。英、仏、トルコ、インド、サウデイアラビア、クウェイト、バハレーン、エジプトが承認。
02.14 バーザルガーン内閣初閣議。ゼネストの解除を指示。武装ゲリラ。米大使館襲撃。日本、中国、韓国、北イェメン、モロッコ、アフガニスタン、西・東独などが新政権を承認。
02.15 夜間外出禁止令発令。
02.16 米国政府、バーザルガーン暫定政権を承認。元SAVAK長官他4人が処刑される。イラン在留米国人緊急避難。
02.17 バーザール営業再開。ゼネスト解除。アラファトPL0議長テヘラン訪問。
02.18 対イスラエル国交断絶を決定。
02.19 クルド、政府軍墓地数カ所攻撃。PLOがテヘランに事務所開設。タブリーズ米領事館放火。
02.20 中央銀行、正常業務再開。米政府はタブリーズ、シーラーズ、エスファハーンの各領事館閉鎖。
02.23 左翼統一集会(於テヘラン大学)。採択決議の中には、旧体制を支えた一切の要素の排除。工場事務所、兵営、農村の自主管理のための評議会設置、旧軍の解体と人民の軍隊の創設、言論、思想、宗教の自由、男女同権等が含まれる。
02.24 ホメイニー師、ソ連大使と会談。
02.26 フェダーイヤーネ・ハルグは武器返還拒否を再確認。
02.28 ホメイニー師、コムに入る。14項目からなる政治・社会政策綱領発表。バーザルガーン首相革命評議会と左派の活動を非難。モラヴィ氏が中央銀行総裁に就任。
03.04 南ア共和国との外交関係断絶。
03.05 石油輸出再開。
03.06「国民民主戦線」結成。
03.07 ホメイニー師、バーザルガーン政府を非難。
03.08 イラン女性、テヘランでチャドル着用反対デモ。
03.09 バーザルガーン首相、辞意表明。ホメイニー師の慰留で撤回。ホメイニー師は革命評議会の権限縮小を約束。
03.11 CENT0脱退。
03.15 ツーデ党,イスラーム共和国構想の全面的支持を表明
03.16 ホメイニー師、テヘラン革命法廷での即決裁判を禁止。
03.18 非同盟諸国会議への加入申請。アフガニスタンとの国境閉鎖。
03.19 外国人労働者規制措置発表。
03.22 中央銀行総裁は外貨建て債務返済開始を表明。
03.25 クルド・政府間で停戦合意。独自の言語,風俗,参政権等準自治権を付与。
03.27 トルクメン族、ゴンバドカブスで政府軍と衝突。
3.30〜31 イスラーム共和国樹立国民投票。投票総数2028万票:賛成2014万票。99.2%。反対14万票。
04.01 イスラーム共和国樹立宣言。マダニー国防相辞任。
04.02 トルクメン族と政府和平協定成立。トルクメン族、ゴンバドカブスから撤退。 
04.05 減・免税措置、旧政府下級職員の赦免発表。経済回復, 国家再建のねらい。
04.07 ホペイダ元首相処刑。(処刑者数累計124人一4月14目現在) 
04.09 原油生産400万b/d回復。
04.10 公務員10万人解雇を表明。
04.12 タレガーニー師子息ら逮捕される。
04.15 失業者問題で首相声明(推定数150〜350万人)。法務省。逮捕状なしの逮捕。家宅捜索禁止。
04.16 在米海軍訓練要員に帰国命令(総員800人)。キャリーム・サンジャービー外相辞任。タレガーニー師支持デモ。
04.17 新憲法草案の発表を2ヵ月、制憲議会選挙を無期限延期
04.18 タレガーニー師、ホメイニー師和解。(タレガーニー師は9月10目病死するが、死後、革命評議会議長であった旨、国営通信が報道)。テヘラン地区イスラーム教最高指導者としてのタレガーニー師の後任はモンタゼリ師任命。
04.20 〜23 アバダン、ナガデで少数民族と革命政府側住民衝突。死者150人。ガラニ将軍(革命後初代参謀総長)暗殺され、フォルガンが犯行声明。ヤズディ革命問題担当副首相が外相に就任。アサディ氏が官民協力問題担当副首相に就任。カーター大統領、駐イラン大使にカルター氏指名。
04.28〜29 イラン国内紙が憲法草案掲載。400万b/d操業に外国人石油技術者不要とNIOC総裁言明。ヤズド革命法廷が前王国に協力した宗教家13名に有罪判決。
04.30 対エジプト外交関係断絶の発表。エジプトも対抗断絶措置。
05.01 モタッハリー師暗殺。同師は革命評議会メンバーと死後公表。
05.03 ソ連国家対外経済連絡委員会議長イラン訪問。5月17日までイランに滞在し、経済・工業協力計画の継続、進展で協議、農業開発協力で合意。
05.05 ホメイニー師、「イスラーム革命防衛隊」の創設を発表。革命評議会が同軍設立にあたる。これによってMilitia Committeeの権限を暫定政府に委譲しない方針が明確化された。
05. 06 二重為替制導入。輸出1ドル=78リアル。輸入1ドル=70.60リヤルー中央銀行総裁発表。
05 .07  海外駐在全大使を召還。前国王任命の大公使総数120名一ヤズディ外相発表。
05. 08  国王体制下有力者21名処刑。革命後処刑者累計191名。
05.12 「アーヤンデガーン」紙休刊。
05.13 ホメイニー師、革命法廷の死刑を制限。ハルハーリー師は前国王他の死刑リスト発表(国王夫妻、アシュラフ王女、国王義母、国王兄弟、バフティヤール前首相、アズハーリー前首相、オヴェイーシー前陸軍総司令官、ザヘディ将軍、前宮内相)。
05.18〜19 クーゼスターン地方で革命委員会メンバーとゲリラが衝突。
05.23 ホッラムシャフル港港湾労働者のスト解除要請。
05.24 ホメイニー師、イスラーム世界の裏切リ者、外国の手先の全国的粛清を指令。テヘラン米国大使館にデモ隊。
05.25 革命評議会メンバー、ラフサンジャーニー師狙撃され負傷。
05.30 ホッラムシャフルでアラブ系住民と革命政府軍武力衝突。ホッラムシャフルに非常事態宣言発令。
06.02 「国民民主戦線」がホメイニー師に公開書簡。内政、外交問題に干渉していると非難。タレガーニー師も同調。
06.04 イラク軍戦闘機、アーゼルバーイジャーン地方に越境爆撃。6月12日イラク政府は遺憾の意を表明。
06.06 カトラー新駐イラン米国大使の任命撤回要求。
06.08 バーザルガーン首相が銀行国有化を発表。前日付発効。対象銀行は外銀との合弁銀行を含む27商業銀行と特殊銀行数行。革命前イランには36行存在し、中9行は政府所有、6行は部分的政府所有となっていた。
 NIOC総裁は対ソガス輸出制限、第二天然ガスパイプライン建設計画中止を発表、理由は国内消費増加のためとされたが、同総裁は7月31日これを一部建設続行と訂正。
06.09 ホッラムシャフル港湾労働者スト解除。
06.10 前国王、メキシコ人リ。
06.12 ホメイニー師、ソ連大使と会談。ソ連の対イラン、アフガニスタン政策を批判。
06.15 イラク機、イラン南西部4村落を爆撃。
06.18 新憲法草案発表。
06.19 憲法採択の手続き、方法決定。73名の専門家会議で草案を審譲、この後国民投票にかける。米、ソとの相互防衛条約破棄をヤズディ外相が示唆。
06.21〜22 バーザルガーン内閣、一部改造。権力移譲担当副首相が内相に。内相が司法相に。ホメイニー師特使イラク当局により逮捕の報道。新憲法草案反対デモ(クーゼスターン州アラブ系住民、テヘランの左派分子)。
06.23 ホメイニー師、ブレジネフ書記長に親書送付。
06.25 保険会社国有化発表。
06.29 クーゼスターン州で武力衝突、デモ、モスク襲撃騒ぎ。
06.30 政府、憲法制定専門家会議が選挙法発表。議席数73、選挙権16才以上、被選挙権30才以上。実施目:8月3曰
07.01 革命政府予算前年比17%減(総額2兆4,410億リヤル:348億米ドル)。
07.05 重要産業部門の国有化をバーザルガーン首相発表。
07.07〜10 ホメイニー師側近ウラマー暗殺。クーゼスターン州で原油パイプライン爆破。「黒い水曜日」が犯行声明。軍人、警察官の大赦。
07.11 前政権の認めた外国および諸団体への無償援助中止を決定。
07.14 男女共学禁止を教育省発表。憲兵司令官解任。マリパン(クルディスターン州)で武力衝突。
07.15 シーラージー師(革命委員会指導者)暗殺未遂。
07.16 国防相辞任。
07.17 エジプト国民議会、前国王のエジプト政治亡命を承認。
07.19 バーザルガーン政府、革命評議会メンバーの相互乗入れ。革命評議会からの入閣は、ラフサンジャーニー、マフダヴィ・キャニー、バニーサドルなど5人が入閣。
07.21 軍参謀総長解任。
07.25 クルド、政府軍兵士待ち伏せ攻撃。西独で革命派による旧王制派狩り。
07.26 イラン軍のオマーン駐留継続を発表。ホルムズ海峡の安全確保を目ざすオマーンに協力。
07.27 武装グループ、イラン・トルコ国境の鉄道駅を襲撃。イラン・トルコ鉄道輸送不通。
07.29 華国鋒主席、ホメイニー師に遺憾の意表明。前国王時代のイラン訪問関連。
07.30 米国のイラン油田奪取計画には軍事力で対抗とシャリーアトマダリー師発言一7月上旬のアラビア湾岸米国軍事力行使準備に対応するもの。
07.31バフティヤール前首相、パリでホメイニー体制非難。
08.03 憲法制定専門家会議選挙実施。
立候補締切日7月28日。結果:ホメイニー派圧勝(2/3議席一イスラーム共和党50。モスレム人民党10)、ウラマー大多数(2/3)。有名当選者タレガーニー師(テヘラン地区)、アブドールラフマン・ガーセムルーKDP書記長(西アセルバイシャン)。モンタゼリー師(テヘラン地区)。バニーサドル(テヘラン地区)。
抗議の動き:NIOC総裁非難声明、タブリーズ(東アーゼルバーイジャーン)抗議デモ。チャハール・マハール・バフティヤーリー州で商店の抗議閉店。クルド地区で選挙結果拒否の動き
08.10 対米武器購入契約(約90億ドル)を破棄の報道。
08.11 憲法制定専門家会議開会。期間31日。13小委員会(5議員/小委員会)で憲法草案審議。4回会合。  
08.12 新聞法制定反対デモ数万人参加。翌13日には閉鎖された有力紙「アーヤンデガーン」を弾劾するイスラーム教徒グループのデモ。
08.13 イスラーム支持派が、フェダーイヤーネ・ハルグ、テヘラン大学武闘派学生本部を攻撃。
08.14 イラン全土にデモ禁止令。
08.15 ホメイニー師、イスラエルとイラン国内左派を非難
08.16 クルド人ゲリラ、バペ市占領。
08.17 バフティヤール前首相、パリで反政府日刊紙刊行。テヘラン等各地でパレスチナ支援デモ。
08.18 政府軍、パペ市奪還。バーザルガーン暫定内閣首相が辞意を漏らす。
08.19 クルド制圧のため総動員会。ホメイニー師が総司令官に就任。クルド民主党(KDP)は非合法化され、アブドルラハマン・ガセムロー党首は、憲法制定專門家会議から除名。サナンダジ市でクルド11名処刑。
08.20 武器携行禁止令。出版社22社に閉鎖令(8月11日発行の新聞法にもとづく)。
08.20 反革命分子逮捕。チャムラン革命問題担当副首相の指揮により、クルド民主党、ツーデ党、フェダイン・ハルクにつながる分子を逮捕。発刊停止処分44紙に増加。
08.21 クルド民主党(KDP)非合法化。
08.23 政府軍、クルドの衝突激化。 
08.28 ホメイニー師、クルド和平提案拒絶。
09.03 政府軍がクルドの拠点都市マハーバードを制圧。各州に石油収入1日分を贈与。約6500万ドルx21州。
09.04 APテヘラン支局閉鎖。7月以来国外退去処分をうけた外国通信社:ロサンゼルスタイムズ、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、フィナンシャルタイムズ。レクスブレス、BBC放送、AP.
09.09 エッテラアート・ケイハン両紙を「被抑圧者財団」に接収。ソ連公式筋はホメイニー師の政策を非難。政治的迫害、少数民族の抑圧、経済政策など。
09.11 ククェイト政府、シーア派ウラマー逮捕。モスク内での政治的アジ演説のため。
09.15 米軍事顧問団受入れ協定廃棄。
09.27 ホメイニー師が中央銀総裁の革命裁判要求。総裁は行方不明。
10.22 パフラヴィ国王米国に入る。
11.04 在テヘラン米国大使館占拠。
11.06 バーザルガーン暫定内閣辞職。革命評議会が行政執行。
12.02 国民投票で新憲法承認。
12.13 タブリーズでシャリーアトマダリー師支持デモ。
12.27 ソ連がアフガーニスターンに軍を進める。

1980.
01.04 コムでホメイニー師支持派とシャリーアトマダリー師支持派が衝突。
01.05 シャリーアトマダリー師派のムスリム共和党解散。
01.25 大統領選挙。バニーサドルが大統領に選出される。
02.04 バニーサドルが大統領に就任。
03.13 議会第一次選挙実施。
05.10 イスラーム学生による文化革命が始まり、大学はカリキュラムは再編のため2年間閉鎖となる。
05.28 新議会が開会。
07.20 ラフサンジャーニー師が議会議長に選出。
07.27 パフラヴィ国王エジプトにて客死。
08.09 モハンマド・アリー・ラジャイ首相が就任。
09.22 イランイラク間の戦闘本格化(イラン・イラク戦争)。
11.07 ゴトブザーデ前外相、テレビラジオ批判で逮捕(10日釈放)。
12.24 テヘランでモジャーヘディーネ・ハルグとヘズボッラーが衝突。
12.31 米大使館占拠事件に結論。
1981
01.20 米国大使館員人質解放。
02.01 バルーチスターン解放組織(BLF)結成。
03.05 バニーサドル支持者15万人集会、イスラーム共和党支持者と衝突。
06.09 バニーサドル大統領、ホメイニー師に公開書簡。
06.22 議会の弾劾決議を受けてホメイニー師はバニーサドル大統領を解任。
06.28 イスラーム共和党本部爆破。ベヘシュティ師などイスラーム共和党要人死亡。
07.24 モハンマド・アリー・ラジャイが大統領に選出。
07.29 バニーサドル、仏に亡命。
08.02 モハンマド・アリー・ラジャイ大統領就任。
08.13 バーホナル師首相の内閣発足。
08.30 首相府爆破。ラジャイ大統領、バーホナル首相死去。
09.01 マフダヴィ・キャニーが暫定政府組閣。
09.05 テヘランのイスラーム革命検察庁本部爆破。
10.20 ハーメネイ師が第参回大統領選挙で大統領に選出される。
11.02 ムーサウィ内閣発足。

1982
04.31 イラン軍の反撃でイラク軍はイラン領占領地の大半から退却し、イランはホッラムシャフルを奪回。
07.13 イラン軍イラクに逆進攻開始。
09.15 革命後、ラジオテレビ局総裁、外相を歴任したゴトブザーデがクーデター未遂の廉で処刑される。
1983
02   ツーデ党が弾圧され、その幹部が逮捕される。
0502  ツーデ党が公式に非合法化される。
07.14 ホメイニー師の後継者を選出するための専門家会議が開催される。
1984
04.15 第ニ期議会選挙実施。
1985 
06.27 議長ラフサンジャーニー師が中国、日本訪問に出発。
08.16 大統領ハーメネイ師が再選される。
10.10 大統領ハーメネイ師は首相に再度ムーサウィを選出。
1986
10.27 革命防衛隊解放運動局のメヘディ・ハーシェミーが逮捕される(1987年9月27日処刑)。
11.04 ラフサンジャーニー師が米国との秘密交渉を暴露。
1987
07.20 安保理はイラン・イラク戦争停戦決議598を採択。
07.31 メッカのイラン人巡礼がサウディ・アラビアの官憲と衝突。死者40名以上。
 ・
1988
07.18 イランは停戦決議598の受諾を表明。
08.20 イランイラク戦争停戦。
1989
02.14 ホメイニー師は悪魔の詩の著者に死刑宣告。
02.15 ソ連軍、アフガーニスターンからの撤兵完了。
03.28 モンタゼリー師、次期最高指導者から外される。
04.24 ホメイニー師が憲法改定を指示。
06.03 ホメイニー師死去。 
06.04 ハーメネイ師が最高指導者に選出される。
07.28 改訂憲法の国民投票、並びに大統領選挙。ラフサンジャーニー師大統領に選出される。

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